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静岡市清水区にこの人ありき!清水次郎長大親分 

昭和13年に大ヒットした「「旅姿三人男」。浪曲の数々。この静岡市清水区出身の、清水次郎長一家をテーマにした歌や物語が数知れません。
そもそも実在したかというと、1820年、今の静岡市清水区の清水港巴川沿いの旧家で生まれて、その後波乱万丈な人生を歩み、73歳で幕を閉じた、正真正銘実在の人物です。
本名は山本長五郎。次郎長という名は、叔父の山本次郎八の養子となったときに、次郎八の家の長五郎ことから、略して次郎長と呼ばれるようになりました。悪がき三昧の15歳のとき、家の金を持ち出して家出をしたの皮切りに、博徒の道をまっしぐら。
次郎長23歳のとき、、人を斬り清水を出奔、無宿渡世人となり、諸国を旅して博徒修行を積んだ末、3年後に清水に戻り一家を構えました。その後は、切った張ったの大立ち回りで、次第に名を挙げていきました。子分の一人、森の石松が殺されたときはあだ討ちに行き、三河地区を手中におさめ、縄張り争いの一方に加担して戦ったときには、千石船2隻に手勢480人、銃や槍、米90俵を乗せたいわば艦隊を従えて伊勢に上陸し、敵を屈服させ、その名を全国に知らしめました。
 幕末になると政治と強いつながりを持つようになります。次郎長は1868年3月から7月、東征府判事から街道警固役を任命されました。同じ年の8月、新政府軍に敗れた旧幕府海軍の艦隊に残された遺体をれを収容し向島の砂浜に埋葬しました。当時、駿河藩大参事だった旧幕臣の山岡鉄舟はこの件で次郎長に深く感謝し、その後も交流をもつようになりました。
明治時代になると、次郎長は侠客を引退し、清水港の整備を訴えたり、お茶の流通販路を開拓したりと、地元の発展に力を尽くすようになります。老後は近所の神社で子供たちに雨をばら撒いたとか、好々爺なエピソードも。何度も命を狙われた波乱万丈な人生でしたが、1893年、風邪をこじらせ74歳でなくなりました。
実在の人物ではありますが、長い年月、浪曲などで語り継がれるうちに、脚色もあるとかないとか。静岡市清水区に不動産を購入して、今もある清水次郎長の生家を訪れたり、次郎長の生涯を調べてみたりして、暮らしていくのも素敵ですね。

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